発達障害な私の育児日記

発達障害な私の育児日記

発達障害を抱えながら家事・育児に奮闘中!私ならではの解決法を提案します!

発達障害と定型発達の間に壁はない!

 

okamati.hatenablog.com

 

できないことに対して怒ることは非効率だし、違う方法の方がストレスが溜まらないと思い、以前に上記の記事を書きました。ですが、この記事を書いた後にTwitterで「できないことに対して仕方がないと受け入れるのは発達障害特有の考えだと診断で言われてびっくりした」というような内容を見かけたんです。

 

Twitterの少ない文字数で書かれたものですのでそれを言った医師の真意はわかりませんが、私は納得ができませんでした。これではまるで、発達障害と定型発達の間には大きな壁があるように思えるんです。私は、違いがあるのは能力だけで発達障害の方と定型発達の方の考えに違いはないと思っています。

 

なので、それからずっと考えました。定型発達の人、発達障害だけど無自覚な人、そして発達障害な私を観察しました。あらゆる点を見ても、そこには発達障害と定型発達の間に壁はありませんでした。壁は、普通という概念を持っている人が自分で作り出していました。

 

 

発達障害者特有の考えはない

 

定型発達の人からも発達障害の人からも、それぞれの違いやASDADHDの特有の考えというのがあらゆるところで書かれています。まるで別の生き物のように書かれているものもあります。

 

ですが、世の中には発達障害だけど無自覚な人がいます。それに、発達障害も軽度〜重度まで様々あります。今は発達障害のグレーゾーンなんて言われ方をする人もいます。なので、きっぱりと定型発達と発達障害の間に大きな壁はないはずなんです。本来は下の図のようにグラデーションになっているはずなんです。

f:id:okamati:20181016225741j:plain

それに、細かくいうと、世の中には総合失調症の方やHSP、他にもあまり知られていない脳に関係する病気の方もたくさんいらっしゃいます。脳だけじゃなく、病気などで生活に困難や支障をきたしている方もたくさんいらっしゃいます。ですが、どこにも壁なんかなくて、全てひっくるめて同じ人間なはずなんです。そもそも、定型発達でも発達障害でも自分と全く同じ人間なんていませんから、どこかで線引きをする方がおかしいんです。

 

一人一人が違う能力を持っていて、能力により似ている経験をしている人が多いから同じような考えをする人が多いだけであり、この考えは〇〇特有の考えというのはありません。あくまでも、能力を分けたのが病名であると私は考えています。

 

自分とは違うとなぜ批判するのか

 

最初に書いた通り《できないことに対して怒る》という点から観察して考えていったんですが、実は私自身この感覚が全くないんでわからないんですよね。なので、これに少し似ている《なぜ人は他人を批判するのか》という点で観察しました。

 

この感覚なら少しはわかります。発達障害を受け入れて改善するまでは私も人を批判することがありました。ですが、改善をして定型発達の人の気持ちも発達障害の人の気持ちもわかるようになると、人を批判する気持ちが全くなくなりました。

 

なので、なぜ私は批判をしなくなったのか、そしてなぜ人は批判をしたくなるのか、どんな人が批判をしているのかを観察しました。

 

そして、観察しているうちに批判している人は似たような言葉を使う人が多いことに気がつきました。「ありえない」や「普通は〜しない」みたいな否定をする言葉です。私は普段これらの言葉を使いません。なので、そこからなぜそのような言葉を人は使うのかを考えていきました。

 

答えは1つでした。定型発達も発達障害も関係ありません。普通という概念を持っている人が人を批判していました。

 

普通という概念

 

たぶん、大半の人はなんらかのことに《普通》という概念を持っています。生きる全てに《普通》を当てはめる人もいれば、自分の好きなことにだけ《普通》を当てはめる人もいます。それぞれが抱える《普通》の大きさは違いますし、内容も様々です。ですが、自分の抱えているものこそが《普通》であり《一般常識》だと思っているから、その《普通》を否定されると腹が立ちます。

 

なので、自分の好きなものに対して自分の《普通》と違うことを言われれば腹が立つし、自分が《普通》と思っていることと違うことをされれば腹が立ちます。だから人ができないことに対して怒る人もいるんです。

 

ですが、《普通》という概念が全くない人もいます。私は発達障害を改善をして《普通》がなくなりました。

 

もともと、親が「個性が大事」と言って育ててくれたからというのはあります。ですが、自分の考えが人と違うことを発達障害を自覚する前から知っていたので、人が違う考えをしていても全く気になりませんでした。唯一《普通》を持っていたのは「言ったことと違うことはするべきではない、言動に一貫性を示すべき」でした。

 

ですが、発達障害を改善したら言葉の裏や真意がわかるようになったので、人が嘘をつく理由も言ってることと違うことをする理由もわかったので、唯一持っていた《普通》がなくなりました。

 

なので、私には《普通》という概念が全くないです。そして、定型発達の人の中にも発達障害の人の中にも《普通》という概念が全くない人がいます。その人たちは他人にそんなに怒りません。だって、それぞれに自分と違う考えがあることを知っているし、自分が間違っているときがあることも知っています。怒ったり批判したりする必要性がないんです。なので、壁などありません。壁は、《普通》という概念を持っている人が自分で勝手に作り出したものです。

 

ですが、《普通》という概念を持っているか待っていないかというのは、自分に染み付いた自然な考えなのでお互いに気付きにくいです。なので、「なぜ人は怒るのか」「なぜ人は批判するのか」「なぜあの人は怒らないのか」と自分と違う行動に疑問を抱きやすいんです。

 

普通という概念を持っている限り成長は途中で止まる

 

自分を変えたいと思っている人は《普通》という概念を持っている限り成長は途中で止まります。発達障害も《普通》という概念を発達障害の当事者や周りの人間が持っている限り改善するのは難しいと思います。

 

《普通》というのは殻なんです。自分で殻を作って籠っている状態なんです。なので、その殻を突かれると腹が立ちます。ですが、その殻はあなたを守っているのと同時に、他から入ってくる情報を遮断する可能性がありますし、あなたの行動を制限している可能性もあります。どれだけ動いても所詮ずっと殻の中なんです。その殻が大きかったらいっぱい動けるからいいですよ。でも、小さい殻なら、あなたは自分の作った殻のせいで身動きができません。

 

人からアドバイスをもらっても「えー、でもー」なんて言って否定していませんか?いい話を読んでも「でも、こんなん無理だし」なんて思っていませんか?逆に、たくさんの知識や情報だけ身につけて殻を分厚くしていませんか?

 

それでは見える景色は変わりません。どれだけあなたが望もうともずっと殻の中です。自分を変えるには殻を破るしかないんです。《普通》という殻がない方が自由に動けてたくさんの景色を見れて楽しいですよ。

 

まとめ

 

かなり偉そうな内容です。しかも、私も発達障害(主にASDについて)や育児に関する記事を書いています。それに、人に伝えるために普通という言葉をあえて使っているときもあります。

 

言い訳に聞こえるかもしれませんが、自分が変わって本当に人生が楽しくなったんです。でも、人生いるんなことで悩んでいる方が多いことは知っています。自分も昔はとても苦しかったです。なので、その人たちのヒントになればと思い記事を書いてます。

 

アスペルガー症候群ASD)の方が少しでも生きやすくなってほしい、家族や身近にASDの人がいて理解できないから辛いと思っている人の助けになりたい、育児で悩んでいる方に楽しく親として生きてほしいと思い記事を書いてます。

 

「こんな考えの人もいるよ」「こんなパターンの人もいるよ」ってことを伝えることで誰かの役に立ちたいだけで、考えを押し付けたいんじゃないんです。

 

今回の話もそうです。《普通》という概念がない人もいて、その人たちは楽しく生きているよってことを知ってもらえればと思い書きました。自分で殻を作ってしんどい思いをしている人を見るから、その人たちの気持ちが少しでも楽になればと思ってます。

 

ですが、《普通》をなくすって難しいです。持てと言われても私は《普通》という概念を持てません。だから、逆に《普通》という概念を捨てるのが難しいのは想像できます。でも、ない方が断然ストレスが減って楽になりますよ。怒らずに笑うことの方が増えますよ。私は《普通》という概念を捨ててとても人生が楽しくなりました。