発達障害な私の育児日記

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発達障害を抱えながら家事・育児に奮闘中!私ならではの解決法を提案します!

アスペルガーな私の親が知っている幼少期と親が知らない幼少期

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子どもの頃にも特徴がいろいろと出てくる発達障害。子どもの行動を見て「もしかして…」なんて心配することも多いですよね。私は大人になってからアスペルガー症候群ASD)だとわかったんですが、たしかに幼少期の特徴的なことがいくつかありました。なので、親から聞いた赤ちゃんの頃、そして親も知らない幼少期をまとめてみました。

赤ちゃんの頃

 

母にはほとんど泣かず、寝てばかりの子で育てやすかったと言われてます。本当かどうかはわかりませんが「お願いだから寝て」と言うと寝てくれたらしいです。

 

そんな私は三歳過ぎるまで言葉をしゃべらなかったそうです。というか、声をほとんど発しなかったみたいです。全て自分で動いて解決していたらしく、親にあれこれと頼むことがなかったと言われました。普通なら親として心配しそうなもんですが、親の言うことは全て理解していたから、こんな子もいるだろうと思っていたそうです。

 

幼稚園時代

 

①嘘つきな子

 

私はしゃべるのが遅かったため、幼稚園には4歳の頃から行きました。当時は周りから見れば《嘘つきな子》だったはずです。誰かが「〇〇したの」って言えば「私も〇〇したよ」ってすぐ嘘つく子っているじゃないですか。私はそんな子でした。

 

しかし、当時は嘘をついてる気は全くなかったんです。「私もした」って記憶を捏造したわけでもないんです。たぶんですが、人とのコミュニケーションの取り方がわからなくて、誰かが発言をして注目を浴びれば、私もそれを真似していただけです。「嘘つき」って言われましたが、嘘をついてるつもりはないから「嘘じゃないもん」っていつも言ってました。本当に何も考えずに誰かの発言を真似していたんです。

 

このことを親は知りません。今の時代なら親へ伝えたりしそうですが、当時の先生は全く伝えなかったみたいです。私は、入園当初こそ先生にダメな子と見られていたそうですが「幼稚園でのIQテストで結果が他の子よりズバ抜けてよかったから先生たちの評価は180度変わった」と親がよく言っていたので、たぶん「変な子なのは頭がいいからだね」とか先生は思っていたんじゃないかと思います。大人の都合で勝手にいい風に判断されていたんでしょうね。

 

ごっこ遊びができない

 

私の幼稚園ではままごとじゃなく「ドラえもんごっこ」とか「キテレツごっこ」とかしてました。そのキャラになりきって遊んでたんです。これがね、全くできないんですよ。最初は恥ずかしいからできないと思っていたんですが、だんだん恥ずかしさがなくなってきたときにはやり方がわからないってことに気づきました。

 

気づいたところで「周りはなぜできるんだろう」なんてことは思いませんでしたけどね。人に心があるってことを知りませんでしたから。知らないというより、心の存在なんて考えたこともなかったし、自分に心があることも考えたことがなかったです。自分や他人の感情があることを知らなかったんです。人の感情に反応するのは、人が怒りを抱いたときだけでした。

 

実は小学校より以前の記憶がほとんどない

 

実はこれらのことしか小学校以前の記憶はほとんどないです。

 

記憶って心が動くから残るものだと思うんです。うれしかった、楽しかった、嫌だった、悲しかったなど、何かの感情が動くから残るんですよね。嫌だったエピソードはこれら以外で2つは思い出せますが、それ以外のうれしかったこととか楽しかったこととかの出来事は一切覚えていないです。

 

たぶん、それくらい心がなかったんでしょうね。笑ってはいたんでしょうし、泣いていたこともあるんでしょうが、それに心が伴っていなかったんだと思います。幼稚園がどこにあったかとかは覚えていますが、どんな部屋でどんな風に過ごしてたかなんて全くわかりません。家族との出来事なんて一つも覚えていません。

 

しかし、小学校に入ってからは勉強ができるというだけで周りに認めてもらえましたし、特別扱いもされましたから覚えています。というか、担任の女の先生と一番仲が良かった友達がかなりキャラの濃い人だったんで、印象に残ることばかりだったんですよね。友達に上靴で跡が残るくらい叩かれたり、先生が授業をボイコットしたりとかなり強烈な人たちだったんです。なので、大人だけでなく同級生も彼女らには好感を持っていませんでした。

 

たぶん、他の人が嫌がるくらい自己中心的で、感情を揺さぶる人たちだったんでしょうね。でも、そんな彼女らだからこそ私はとても楽しく過ごせたんです。それくらい激しく心を揺さぶってもらわないと心の存在に気づけなかったと思います。それに、彼女らに出会わないと、もしかしたら今も小さい頃のまま何も感じない大人になっていたかもしれません。

 

まとめ

 

参考になるようでならない話だったと思います。本当に全く覚えていないんですよね。正直、ここまで心がなかった私に対して不信感を持たなかった親に驚いています。

okamati.hatenablog.com

 

ですが、上記の記事のように個性を大切にする親だったので、ありのままの私を受け入れてくれていたんだと思います。発達障害を知らないからこそできたんでしょう。昔は今ほど発達障害が認知されていませんでしたし。

 

今は様々なところで発達障害のことを知れます。幼少期から発達障害への対策ができます。今の時代の子らがうらやましいです。私が心のなかった時期を、悩むこともあるだろうけどめいっぱい楽しむこともできるんですから。やっぱり生きるからには心を感じて生きたいです。