発達障害な私の育児日記

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発達障害を抱えながら家事・育児に奮闘中!私ならではの解決法を提案します!

発達障害な私が生きやすくなった親の教育4つ

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子どもの頃のことって大人になっても影響がありますよね。なので、子育てをしている方は子どもが大人になっても楽しく過ごせるようにと様々なことを教えていきます。特に、発達障害を持った子どもの育児ならなおさら様々なことを教えなければいけませんよね。

 

私はアスペルガー症候群ASD)です。大人になってから自覚したため改善するのが大変でしたが、私が発達障害だと知らない親が小さい頃にしてくれたことのおかげで乗り切れていることもたくさんありました。なので、私がうれしかったことや役に立っていること、本当はこうしてほしかったことをご紹介します。

親にしてもらってうれしかったことや役に立っていること

①個性的なことを認めてくれていた

 

母が個性的だというのもありますが、母はずっと「みんな一緒なんておもしろくない。個性的な方がいい」と言って、子ども達の服なども流行りではなくそれぞれに似合うものを着せていましたし、考え方や行動も少しくらい変でも認めてくれてました。

 

この考え方は、思春期の頃などに周りと自分の違いに気づいたとき助けられた考え方です。《人と違ってもいい》と思えたし、周りの個性的な人も《違っていておもしろい》と思えることができました。発達障害だと気づいた今も《個性は大事》と思えますので、自分を受け入れることができてます。

 

②様々な話し合いがよく行われた

 

両親共に子ども達の話をよく聞いてくれていたので、家族で討論をすることがよくありました。例えば「この無糖のアイスコーヒーにグラニュー糖は溶けるかな?」って誰かが質問をすれば、溶けるか溶けないかの議論が始まり、次は溶かす方法を各自が発表し合うみたいな展開になるんです。この討論の光景を初めて見た人は結構驚きます。

 

しかし、これらの体験により人の話を聞く、自分の考えを言う、お互いの妥協点を見つけるなどができるようになりました。特にお互いの妥協点を見つけるというのは、アスペルガーの私にとっては役に立っています。

 

発達障害者はこだわりが強いです。しかし、小さい頃の体験により、自分のこだわりが通らないことも、相手にもこだわりがあることも理解できました。なので、自分のこだわりが通らないなら他の方法を探すということが自然と身についたんです。

 

③「当たり前」「普通」という言葉を使わなかった

 

親が怒るときや子ども達に説明をするとき「当たり前」「普通」という言葉を使うことはありませんでした。全て「私はこう思う」と自分の意見として伝えてくれていました。

 

発達障害者は「当たり前」や「普通」や「常識」がわかりません。なので、これらの言葉を使われると反発心しか出てこず、話が全く頭に入らないんです。「普通って何?」ってなるんですよ。ですが、同じ話でも「私はこう思う」と一人の人間の意見として話されると頭に入ってきます。プラス、それに何故そうするかという理屈をつけてもらうと私はさらにわかりやすかったです。

 

④愚痴や悪口、批判等を言わなかった

 

親は夫婦で育児のことを話し合って、子ども達の前では愚痴や悪口、批判等を言わないと決めていたそうです。実際、両親の口から悪い言葉を聞いたことはありませんでした。

 

親から悪い言葉を聞かないということは、子ども達は知らないから口にしないということなんです。これのおかげで、思ったことをすぐ口にしてしまっていた小さい頃に人と揉めることが少なくて助かったと今でも思います。

 

それでも「子どもの世界が広がれば自然と知るし使うようになるでしょ?」と思いますよね。でも、親から聞いたことがない言葉を聞いても、その言葉に対しておもしろいと思わなければ使わなかったです。子ども達はその言葉をおもしろいと思うから使うんであり、不快な言葉なら使いません。

 

しかし、この親の口から悪い言葉を聞かないという点にはデメリットもありました。周りから言われた悪口などの言葉に耐性がないため、傷つきやすかったです。特に、アスペルガーは言葉をそのまま受け取るため、相手が《イジる》つもりで言った言葉にも真剣に傷ついていました。なので、なおさら私は悪い言葉を使わなくなったんですけどね。

 

ですので、本当は世の中いろんな人がいて、悪い言葉を使う人もいるってことは教えておくべきなのだと思います。その上で、親が悪い言葉を使わないのがいいと思います。

 

親にしてほしかったこと

 

親にしてほしかったことはただ一つです。できない、わからないが理由の質問に答えてほしかったです。印象に残っている出来事は二つあります。

 

一つ目は、小学校の国語の授業で「この風景を想像してみましょう」というのがあったときに、頭の中に映像を思い浮かべることができなかったので母に「頭の中に映像を思い浮かべるってどういう風にするの?」と質問したときです。

 

母は、「そんなのできるでしょ?お父さんの顔を思い浮かべられるでしょ?それと同じようにするの」と怖い剣幕で言いました。「これは聞いたらダメなことだったんだ」と思ったため「わかった」と言いましたが、とても寂しかったです。

 

今でも、頭の中に映像を思い浮かべることは苦手です。見たことがない景色は一切無理です。見たことがあるものならなんとなくはできるようにはなりました。なので、普通は頭に映像を思い浮かべることができると知って、大人になってからネットでいっぱい写真を見て風景を頭に叩き込みました。

 

二つ目は、漫画を読んでいたときに「モノマネを見て笑う」というシーンがあり、何故この人たちが笑っているのか理解できなかったため近くにいた姉に質問をしました。姉は「普通、モノマネを見たら笑うじゃん。何を言ってるの?」とバカにしてきました。近くで見ていた母も何も言いませんでした。そのときも「ごめん」としか言えませんでした。とても寂しかったです。姉は幼かったし、この質問にちゃんと答えることを求める方がおかしいと今では思います。でも、この会話を聞いていた母は何かできたんじゃと思います。

 

それ以来、漫画やテレビで人がしている行動の意味がわからなくても質問ができませんでした。わからないけど普通はこうなんだろうと思い込んでいたし、わからないから他人に興味が持てなくなりました。

 

そして、これらの経験により自分ができない、わからないことを質問することができなくなりました。今はネットがあるので調べればわかります。でも、私が小さい頃には自分で調べるなんて限界があり無理でした。

 

今でもわからないことを人に質問をするのは苦手です。幸い、夫がどんな質問でもバカにせずに答えてくれる人なので、唯一夫にだけはなんでも質問ができるようにはなりました。なので、夫に出会ってからずっと疑問だった「挨拶は何故するのか」とか「音を立てずに行動をするにはどうしたらいいか」とか「歩き方や走り方が変なんだけど、どうやるのが正しいのか」とかは全部教えてもらえました。

 

なので、子どもの質問にはバカにせずに教えてあげてほしいです。いつでも質問に答えるという環境にするだけで、本当に子どもが困ったとき、子どもは素直に親に質問をすることができるようになるんです。

 

まとめ

 

私も親になり子どもを育てる立場になりました。親の気持ちも理解できるようになり、感謝しています。

 

しかし、私が発達障害である以上、子どももその可能性が高いと思っています。そして、私が疑問に思ったことや生きていく上で不安や困難になったことを体験する可能性があります。そんなとき、私のように寂しい想いはさせたくないです。親の良いところは真似、自分のしてほしかったことをしてあげられる、そんな親になりたいです。