発達障害な私の育児日記

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発達障害を抱えながら家事・育児に奮闘中!私ならではの解決法を提案します!

感情と記憶のズレ 発達障害の要因は脳の防衛反応ではという推論1

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私はアスペルガー症候群(現在は自閉症スペクトラム又はASDと呼ぶ)です。現在診断待ちですが、発達障害と自覚してからは4年経過しており、ずっと改善してきました。

 

そんな私が最近幼少期を振り返って記憶を掘り下げたところ、私の発達障害の主な部分は脳が防衛反応として独特の発達をさせたことが要因なのではという推論に至りました。

 

これから書く内容は発達障害についてではなく、あくまでも私個人の能力、要因です。そして、私は虐待されていませんが虐待サバイバーという言葉も出ます。全て脳内整理のために書いていますのでご了承ください。

 

 

 

心や記憶の探し方

 

私は発達障害を自覚する前から自分は感情が欠落している自覚がありました。ずっと自分は他人と違うと感じていたんです。しかし、学生時代はそんな自分を拒否することもなく、こんな人間もいるだろうと深く考えてはいませんでした。ですが、社会に出るとトラブルがすごく増え「これは自分を変えなければ何も変わらない」と思い、まずは自分の心を探すことから始めました。

 

最初は、怒りを感じたときに「何故自分は腹が立ったのか」を探すことから始めました。最初の頃は答えを見つけるまで1週間はかかりました。たった1回の怒りに対して1週間ずっと考え続けてやっと自分の本心に気付けたんです。

 

やり方のイメージとしては、自分の薄っすら感じている気持ちの後ろに扉があります。その扉を開けるためにその場の状況、自分の思考の癖などを考慮して仮説をどんどん扉にぶつけていくんです。すると、正解が当たると扉が開き、また扉が現れます。またその扉に仮説を当てていく…というのを何度も繰り返すことによって本心を見つけられるんです。

 

本心を見つけたときはとてもスッキリするのでわかります。「ああ、これか」と落ち着くんです。正直、自分では気づきたくなかった汚い気持ちや醜い気持ちに辿り着くこともあります。でも、それが本心なら私は素直に受け入れる気持ちになります。自分の素直な気持ちがどんどん溢れてくるので自然と受け入れたくなるんです。

 

現在は今の気持ちなら数時間で本心まで辿り着けるようになりました。どうしても自分を擁護する意見が表面に出やすいので、慣れた今でも数時間はかかってしまいます。過去の気持ちでも今なら1日もあれば辿り着けます。

 

こうして私はずっと自分の心を探し続けました。

 

自分の気持ちと脳の記憶の違い

 

最近、自分の人生には母の言葉が大きいことに気付きました。母が「私は〇〇と思う」とか「私は〇〇の方が好き」という風に言った言葉を受け入れて実行していたんです。

 

ですが、私自身は愛情というのがよくわからないので、母は好きだけど母に愛情を持ったことがなかったんですよね。それなのに母の言葉を積極的に取り入れていた自分に違和感を感じたんです。

 

なので、「もしや私は、自分が思っていた以上に母のことが好きだったのでは」と思いました。行動からはそうとしか意味が取れないんですよね。ですので、すぐに「母のことがずっとすごく好きだったみたい」と母へ伝えました。すると母が「あんたは何故かわからないけど3歳まで常に抱っこしてた」と言いました。

 

何故かわからないってのが母らしいなぁと思います。母も発達障害なので自分の気持ちがわからないんですよね。私も同じなのでよくわかります。自分の気持ちがわからないから「何故かわからないけど〇〇してた」ってのがどうしても多いんですよ。

 

それに、私は3歳までほとんど声を発しないから駄々をこねることもなかったし、「寝て」と言えば寝るくらい育てやすい子だったので抱っこしていないと危険なんてこともないはずなんです。本当に何故かわからないけど常に抱っこしてくれてたらしいです。

 

するとですね、私は目一杯愛情を感じていた可能性が高いんです。愛情表現がわからない母と愛情を感じられない私の間に、お互いよくわかっていないけど愛情のやり取りはあったようなんです。そして、自分では気づいてなかったけどその愛情が心の底や脳の記憶として残っていた可能性が高いんです。

 

そこでさらに疑問が出ました。脳の記憶として残っているから無意識に行動してたとしても、何故私は自覚できなかったんだろう。通常は感情、行動に一貫性があるはずです。なのに、私には何故一貫性がないんだろう。

 

幼少期の当時の感情と脳の記憶のズレ

 

最近、自分のトラウマに気付きました。それはおままごとです。

 

子どもの成長と共におままごとやごっこ遊びが必要になりますが、私はどうしても抵抗がありました。しかし、子どもがいるのでやらなければいけません。なので、おままごとをするために自分の気持ちに向き合ったところ、おままごとが嫌なのではなく過去の嫌な気持ちが蘇っているだけだと気付きました。

 

なので、そのおままごとの嫌な記憶を探し出して、その当時の本心を追及しました。そこでわかったのが当時の感情と脳の記憶のズレです。

 

当時の感情としては「友達とごっこ遊びをしていたけど嫌な役をやらされて、しかもやり方がわからなくて嫌な思いをした」でした。これだとよくある光景のはずです。実際、母に当時、私が幼稚園に行くことを嫌がったか、友達がいなかったかをかくにんしたら、毎日楽しそうに幼稚園に行っていたし友達もいたと言っていました。

 

しかし、当時の私の能力、大人の反応、子どもたちとの関係性から推測しながら脳の記憶を探し出したら全く違う内容が出てきました。

 

脳の記憶としては「私のコミュニケーションが下手なせいで周りから嫌われていた。しかも、私が大人しいからいいように利用されていた。ごっこ遊びも人数が足りないからやっただけだし、誰もやりたくない役だから押し付けられた。できないと言ったら周りにキツく責められた。何もかもがわからなかっただけなのに、周りは常に私を責め続けた」でした。

 

感情と脳の記憶では全く状況が違いますよね。しかし、たしかに脳の記憶としてはこうなっているんです。そして、当時の自分の性格や他の覚えている出来事を考えたら脳の記憶は正しい可能性が高いんです。

 

それに、この記憶を見つけたときに溢れた感情は「悲しい、ツラい、悔しい」という悲痛な叫びのようなものでした。涙が止まりませんでした。幼い自分が一人でずっと心の中で泣いていました。

 

これらの結果から考えられることは、脳で理解していたことと自分が理解していたことに大きなズレがあるということです。同じ体内で1つの物事に対して違う理解をしているということなんです。

 

何故大きなズレが生じたか

 

この大きなズレは私が心の存在を知らなかったことが原因です。私はずっと自分の心を知りませんでした。ですので、他の人にも心があるなんて知りませんでした。

 

心の存在を知らないということは、自分の感情を理解できないってことなんです。でも、心の存在を知らないというのは心がないということではないんです。私にもずっと心はあったんです。たぶん幼少期の私は本当に心の感じ方が下手だったんでしょうね。心に収まりきらず溢れてしまった部分しか感じ取れなかったんだと思います。

 

幼少期の思い出って嫌な記憶しかないんですよね。それらも「嫌だったなぁ、悲しかったなぁ」くらいの感覚でした。たぶん、楽しかった感情などは心の中に収まっていたから気づかなかったんでしょうね。

 

そして、私の感じていた嫌な感情は、本当は心から溢れるくらいものすごく嫌で、ものすごく悲しかったんだと思います。だから、おままごとも大人になっても拒否反応が出たんです。それくらい当時は悲しかったし悔しかったんです。

 

大きなズレの影響

 

しかし、大きなズレに対して「感じなかったんだから逆にラッキーじゃない?」とか思う方もいらっしゃると思います。だけど、この大きなズレってかなりの問題なんです。

 

幼少期と言えばまだまだ脳や体の成長途中です。大切な時期なんです。この大切な時期に、気づくことができないせいでどんどん子どもの心に傷やストレスが増えていくんです。心の傷は気づかないせいで治ることがないかもしれません。これらは確実に子どもの成長に大きな影響を与えます。

 

もちろん、本人が気づかなくても周囲の大人が気づければまた結果は違うと思いますよ。でも、私は幼稚園のIQテストで高IQを出した結果、親も先生もみんな「IQが高いからこの子は変なんだ。だから他の子とは違うんだ」と判断して、私の行動をいろんな意味で何も言わずに受け入れたんです。

 

母自身が「変な行動は全てIQが高いからだと思っていた」と言ってました。だから、大人にとって私の行動に理由ができてしまったため、私に深く入り込まなかったんですよね。母に関しては母が発達障害だからわからなかった可能性も高いです。

 

このような様々な理由により私の心の傷やストレスは癒されることがなく、増えていく一方でした。

 

虐待サバイバーとの共通点

 

虐待サバイバーって知っていますか?私は最近Twitterで知りました。

 

様々な虐待を受けて育ち、その虐待により自分を守るために脳が独特の発達の仕方をした人のことです。特徴としては孤独感が強い、過去の記憶があまりないなどです。他にも様々な特徴がありますがここでの細かい説明は省きます。

 

私が注目したのは、自分を守るために脳が独特な発達をしたという部分です。そして、過去の記憶があまりないという部分です。

 

もし私が先ほどの推論のように、私が心の存在を知らないせいで癒されることがない傷やストレスがどんどん増えていってたとします。それなら、虐待サバイバーの方のように私の脳も私自身を守るために独特な発達をした可能性もあるのではと考えました。

 

実際、昔は過去の記憶があまりありませんでした。現在は無理やりこじ開けて探し出しているので少しずつ過去の記憶が蘇っています。

 

それに、今まで出会って仲良くなった人は、虐待をされていた過去があったり家族関係に問題があったりする人が多かったんです。夫も虐待されていましたし。そして、こういった人とは価値観の合う人が多かったんですよね。育ってきた環境が違うのに気の合う人が多かったんです。

 

他にも脳が私を守るために独特な発達をしたと考えると辻褄の合うことがものすごく多いんです。実際、心の存在を知っていくと自然とASD特有のコミュニケーションの障害の部分がどんどん薄れていくんですよね。そりゃそうです。私が気づいていないだけで脳ではずっと様々なことをきちんと理解していたんですから。

 

脳が理解しているってことに私が気づいていないだけだったんです。私が周りをわからないんじゃなく、私が私自身をわからないからわからなかっただけなんです。

 

他にもこの推論だと納得できる点がたくさんあります。そして、これが要因だとすれば、現在の私の常にある不安感や恐怖感、疲労による脳の情報遮断などが改善できる可能性が出てきました。

 

しかし、長くなってしまったので次回これらを書きます。

 

まとめ

 

あくまでも私個人の話です。それに、これが要因とすれば発達障害と言えるのかという疑問も出てきました。しかし、発達障害の基本的なことはわかっていないことも多く、個性がありすぎて発達障害の認識が複雑化していることも事実です。

 

私自身としては私が発達障害かどうかなんてどうでもいいんです。ただ、毎日楽しく生きたいだけなんです。そのために、努力して自分と向き合っているだけです。正直、自分の本心を探したり過去の記憶を探し出すのってかなり疲れます。大体、数日は疲労が残ります。クタクタになるんです。

 

それでも、心がわからなかった私にはこれが最善で最短の改善方法だと思うから心と記憶に向き合ってきました。私が目指すのは表面の改善ではなく、根本の改善です。

 

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