発達障害な私の育児日記

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発達障害を抱えながら家事・育児に奮闘中!私ならではの解決法を提案します!

学校の授業で何を学ぶべきか アスペルガーな私の授業の記憶

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発達障害の子は学習障害もある子が多いと聞きました。そこで、ふと自分はどうだったかを考えたんですが、理解するとか理解できないという概念がなかったことに気づきました。ちょっと特殊な考え方をしていたのかなと思ったので、私の学校での授業を思い出してまとめてみました。

 

 

小学校低学年

 

もともと、なんでも言葉をそのままに受け取っていたので授業に疑問を抱いたことがありませんでした。「1+1=2だよ」と言われれば「そうなんだ」と思ってたし「花ははなって読むんだよ」と教われば「そうなんだ」と思ってました。たぶんこの時期に「1+1=3だよ」とか「花はみずって読むんだよ」って教わっていても「そうなんだ」と思っていたと思います。人の言うことに疑問を持ったことがありませんした。

 

なので、「引き算がわからない」とか「なんで繰り上がるの?」とか友達が言っていても「先生が言ってたのになんでわからないんだろう」という感覚です。全てを鵜呑みにしていた私にはわからないという言葉の意味がわかっていなかったんでしょうね。

 

小学校3年生

 

このくらいの時期に母に問題を出されたんです。

 

「カレンダーに書かれている数字を全部足したらいくつになるでしょう」

 

30日までのカレンダーだったので1から30までを足せばいくつになるかって問題ですね。私は1から順番に足していきました。そしたら母が「お姉ちゃんはね、まず1から10までを足してそれに3をかけたの。そして、残りの数字をかけて足したんだよ」と言われました。式にしたら

 

(1+2+3+4+5+6+7+8+9+10)×3+10×10+20×10

 

ですね。これがとても衝撃的だったんです。初めて「言われたまま考えなくていいんだ。自分で一番楽なように考えたらいいんだ」と知ったときでした。

 

そこから、いかに楽に問題を解くかという考えに変わっていきました。今までは宿題でもテストでも初めからやり出して問題が解けてから次の問題をするという感じでしたが、わかるところから埋めていってわからないところは後で考えるということができるようになりましたし、テストもいかに楽に解くかということを考えられるようになりました。

 

もともと理解するとか理解しないという概念はないため、「なんでそうなるの?」という疑問が一切なかったのでここから先も授業で困ることはありませんでした。

 

国語のテスト

 

人の気持ちも自分の気持ちもわからなかった子ども時代ですが、国語のテストでも困ったことはありませんでした。一時的な記憶力はよかったので漢字などの暗記類はもちろんのこと、文章問題も困らなかったんです。

 

国語のテストって、特に小学校の間はパターンがあるのでそれを理解すればほぼ間違うことはありませんでした。別に登場人物の気持ちがわからなくても作者の気持ちがわからなくても、文章の中から答えを見つけるコツさえ身につければある程度は解けたんですよね。物語を全部読まなくても、問題の中に出てきた言葉を物語の中から探してその前後数行を読むだけでどれが答えかがわかったんです。

 

感覚的には文章を理解して解くというより、パズルとか数式みたいな感覚で解いてました。答えを見つける自分なりの式に文章を当てはめるって感じですかね。なので、読解力は身につきませんでした。

 

中・高校時代

 

中学、高校もずっと同じでした。少し違うのは、小学校時代よりさらにテストの点数を取るために授業を受けるようになったぐらいですね。

 

先生の説明が理解できるかどうかよりどこがテストに出るかを意識してた記憶があります。黒板に赤や黄色のチョークで書かれるところを意識したり、先生の「ここ大事だよ」って言葉に注目したりという感じです。

 

知識を得るために授業を受けるという考えはありませんでした。なので「なんで勉強するの?」という疑問も抱いたことがありません。授業の内容でテストに必要な部分を自分なりに解釈していただけでした。

 

ただ、助かったのは数学が一番得意な科目だったことです。数学だけは理解して応用させないと解けないですからね。

 

この時期には「テストで点数を取るのが楽しい」という考えになっていたので難しい問題を解くのが楽しかったんです。でも、数学も自分なりの解釈で授業を理解していたので、答えはわかるけど途中式がわからないってパターンが多かったです。答えは自分なりの式で解いてたことが多かったので書いてもバツになったんですよね。当時は納得がいかなかったけど今思えば仕方ないことだと思います。

 

テストで点数が取れることは正しいことなのか

 

現在の私は学生時代に習ったことはほとんど残ってません。大人になってから「九州っていくつ県があると思う?」と質問されて「9個!」って答えた人間ですからね。これでずっと成績が良かったんですから、私にとって学校の授業はなんだったんだろうと思ってしまいます。

 

学校の授業で得たものは、いかに目の前の問題を自分なりに簡単に取り組むかを考えられるようになったことだけです。これもきっかけは母が出した問題ですからね。授業のおかげで何かに興味を持ったこともなく、授業がきっかけで何かが変わったこともありません。

 

学校の先生から見たら、大人しく授業を聞いてテストの点数もいい良い子だったと思います。でも、こんな私は正しいでしょうか?点数が取れても、理解することも理解できないこともわからない子どもは何を教わっても右から左です。話に納得したり、話に疑問を抱いたり、何かしらの気持ちが動いてこそ《学び》と言えると思うんです。

 

だからこそ、子どもにはきちんと《学ぶ》ということを理解してほしいです。目の前のことに疑問を持って「なんでこうなるんだろう」って考えてほしいんです。テストでいい点数を取ることなんて重要じゃなく、きちんと学んで、学んだことをずっと自分の力にできるようにすることこそが重要なんです。

 

私が「わからない」ことがわからなかったからこそ、「なんでこうなるんだろう」と疑問に思って考える力を子どもには身につけてもらえたらと思っています。

 

まとめ

 

わからないことが多かった人からすれば贅沢な悩みかもしれません。でも、あれだけたくさんの授業で学んだことが何も自分には残っていないのって時間を無駄にした気になってしまうんです。もう一度勉強したいなぁと思ってしまいます。

 

現に私は大人になってから都道府県を覚えましたし、漢字なども曖昧な記憶になっていたので今でも本を読むときは調べながら読んでいます。学校で私は何をしてたんでしょうね。