発達障害な私の育児日記

発達障害な私の育児日記

発達障害を抱えながら家事・育児に奮闘中!私ならではの解決法を提案します!

母が無自覚な発達障害だった影響 私の母はアスペルガー症候群です

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子どもの頃のことって大人になっても影響が大きいです。特に発達障害だと親や周りが自分を理解してくれなかったことなどが大人になってからも自己肯定感の低さとして影響が出ることもあります。

 

私の母は本人無自覚のASDです。これは、自分がASDだと気づいたときに母も発達障害だと気づきました。だって、性格がよく似てるし、母の考えてることってすぐわかるんですよ。でも、母が無自覚なASDだったことにより私は自分がない人間になりました。何がいけなかったのか、客観的な視点で分析していきます。

 

親世代の育児は怒る育児

 

私の親は、私が高校生のときに離婚しました。それまで家庭は亭主関白で、母が父に逆らっている姿など一度も見たことがありませんでした。母もパートをしていましたが、全て母が家事をして家庭を影で支えてくれてました。今では珍しいくらい何においても父が一番の家庭です。

 

そんな母は離婚した途端すごく明るい人になりました。そして、結婚してたときは父に対して我慢をたくさんしてたことを何度も話しました。父が家事を手伝ってくれなかったこと、自分の話を聞いてくれなかったこと、家具や家電製品を一度も選ばせてくれなかったこと。

 

そんな家庭だったので、離婚する前も育児は母がほとんどしてくれました。父は仕事や町内会などでほとんど家にいなかったんですよね。パートをして、家事をして、一人で育児をして毎日が慌ただしくあまり覚えてないと話してます。そして、慌ただしい毎日で余裕がない上に当時は《すぐに怒る育児》が主流だったので、母は怒ってばかりでした。いつもとても大きい声で怒られていたのを記憶してます。

 

母が発達障害

 

先程までの話だとどこにでもある普通の家庭の話だと思います。母がひたすらがんばっていた家庭というイメージだと思います。ですが、これにASDという要素が加わると全く違う話になってくるんです。しかも、本人は至って普通の感覚の人間だと思っている場合いろんなところで歪みが出るんです。

 

まず、父が家事を手伝ってくれなかったと言いますが、父は家にいなかったから家事は手伝えませんが、子どもをお風呂に入れたりはしてくれてました。まとまった休みのときは小柄な母だと大変な掃除などはやっていました。しかし、それらは母の記憶に残ってません。それに、母は他の家族がした掃除に納得がいかないときとても怒るんです。私達が産まれる前からそうみたいでした。母が納得しなかったら怒るのがわかっていて家事をしたい人なんていません。

 

それに、母がたくさん父に対して我慢したと言いますが、その我慢によるストレスがどこに向かってたか自覚がありません。母は無意識に全てのストレスを子どもたちに向かって発散させてました。《すぐに怒る育児》が主流ですから、母の中で怒ることは正しいことだと認識されてたんです。周りの気持ちがわからない人間が怒ることは正しいことだと思って怒るんですから言葉に遠慮がありません。しかも、人の気持ちがわからないから、一般的には怒らない場面でも自分が気に入らなければ頭ごなしに怒鳴ります。

 

それに、発達障害は自分が嫌だった記憶が残りがちです。特に母は慌ただしい毎日でしたので余計にその傾向が強いみたいです。たまに母に過去のことを聞きますが、私が高校生のときに家族の分と自分の分のお弁当を作ってたことを覚えていませんし、家族が家事を手伝ってくれた記憶もあまりありません。自分だけが忙しかったと思っています。

 

でも、これだけだとただの怖い変な母で終わります。問題は、私もASDだったということです。母が何故怒っているかがわからなかったんです。ただひたすら母を怒らせないようにしていました。それでも私は自分の気持ちさえもわからない人間だったので、何度も何度も母の地雷を踏んでましたけどね。

 

大嫌いな言葉

 

母が口癖のようによく言ってた言葉があります。

 

「あんたの好きにしたらいい。私はもう知らない」

 

この言葉は人によっては「やったー、好き勝手できる!」って喜ぶ言葉だと思います。でも、言葉をそのままの意味にしか取れない私には恐怖の言葉でした。無表情でこれを母はよく言ってたんです。「母に従わなければこのまま私は捨てられてしまう、家を追い出されてしまう」と思ってました。なので、どんなに納得のいかないことでも従うことしかできませんでした。生きるためには従うしかなかったんです。

 

私がそんな反応をするので、母は子どもを従わせる魔法の言葉として好んでよく使っていました。言われる度に私は本気で怖かったんですけどね。人の気持ちがわからない母にとっては、これを言われたら子どもがどう思うかなんて考えたこともないはずです。だって、人がどう思うかなんて関係ないんですから。自分にとっていい結果になればそれでよかったんです。

 

こだわりを押し付ける

 

ASDの特徴としてこだわりが強いというのがあります。母もこだわりが強い方でした。特に、普段は父に合わせるので子どもに対してのこだわりが強かったんですよね。母が美術系の学校を卒業してるからか、子どもたちの洋服や持ち物などに対してのこだわりが強かったです。

 

一番こだわりが強かったのは洋服です。普段着は子どもたちに任せますが、学校のイベントや家族でのお出掛けなんかは口出ししてました。散々人格を否定されて自分が着たくない洋服を着なくちゃいけなかったから、洋服には今もこだわりが持てません。着れたら何でもいいです。子どもたちのセンスが悪いとかじゃなく、母の好みではないってだけであれだけ否定されれば何に対しても興味がなくなります。

 

おもちゃも母の好みでなければ買ってもらえませんでしたし、鞄や筆箱等の小物類も全て母の好みでした。そのせいか大人になった今でも物欲は一切ないです。子どもの頃に母と買い物に行ったときも、母の好きそうな見た目で値段の安い物を選んでました。

 

親が人の気持ちがわからないことはマイナスが多い

 

育児の中心だった母が人の気持ちがわからないってマイナス面が多いんです。幼稚園のときに家へ遊びに来た友達が私が大切にしまっていた宝物の消しゴムを盗んだから相談したのに「なんで盗まれるようなところに置いておくの!」って怒りましたし、小学生の頃一人で留守番をしてたとき「親に内緒でプールに行こう」って電話がかかってきて母が帰ってくるまで一人で怖い思いをしてたのに母は「なんでそんな電話に出たの!」って怒りました。

 

確実に子どもは悪くないじゃないですか。なので、なんで怒られたか納得がいかなかったし、助けてほしかった母に怒られてとてもショックでした。私にとっては忘れられない記憶です。ただただ悲しかったんです。でもね、大人になって母にこのときのことを尋ねたら母は一切覚えてなかったんです。

 

驚きませんか?子どもの大切なものが盗まれたり、子どもがもしかしたら危険な目にあってたかもしれないことを覚えてないんですよ。人の気持ちがわからないから、そんな不快な話をしてきた子どもに腹が立つってくらいにしか考えてなかったんだと思います。相手がどう思うか、どういう結果になった可能性があるかなんて想像できないしわからないんです。全てにおいて自分がどう思ったかでしか判断できないんです。

 

なので、母が気にしない一般常識は教えてもらえなかったですし、普通なら知ってるはずであろう身だしなみなどについても教えてもらえませんでした。母が嗅覚過敏で化粧が一切できないし、子どもは身だしなみなんか気にする必要がないと思ってたんですよね。これらも定型発達の子ならそこまで影響がないかもしれません。ですが、ASDはそれでなくてもわからないことだらけなんで、一般常識や身だしなみは教えてもらわないと何もわからないんです。私は姉が分かる範囲で教えてくれたのでまだ助かりました。それでも大人になってから知らない常識が多くてとても苦労しました。

 

怒る内容も自分中心で、物事の判断も自分中心な母だったのでそれに合わせるだけで精一杯でした。それに、幼かった私は母が悪いと思うより自分が悪いと考える方が自分が傷つかないと無意識に判断したのか、今でもどんなことに対しても自分が悪いという考えが抜けません。たぶん、幼かった自分の心を守るにはその方法しかなかったんだと思います。母に文句を言ったら「あんたの好きにしたらいい。私はもう知らない」なんて言うでしょうし。人に従うことでしか自分の心の平穏を保つことしかできなくなった私は、大人になってから苦労しました。幼かった私は何か悪かったんでしょうか。

 

まとめ

 

okamati.hatenablog.com

 

上記の記事の通り、親にしてもらって助かったこともあるんです。それに、母自身が子どもの頃に親にあまり愛されなかったから、自分はあんな親にはならないとがんばってくれてたことも知ってます。愛されてはいました。今も母なりに大切にしてくれてます。たぶん、母の言うことを聞いていればずっと大切にしてくれます。

 

しかし、傷ついたことが多かったのは事実です。だけど、良いところも悪いところも含めて人間だと思います。過去に文句を言っても変わりませんし受け入れることにします。それに、ただ私と母の相性が悪かっただけだというのもわかってます。

 

ですが、母と会うのは今でも緊張するので心から母の全てを受け入れる日は残念ながら来ないと思います。距離を保ったまま親子関係を続けたいです。